子どもたちの中には、喋らない、物静かな子がいる。私自身がそうだった。
でも、わからないわけでもなければ、やりたくないわけでもない。
そこに、指導力のある物事がわかったような先生や親がいたらどうだろう?
その子を無理やり、自分の思う方向へ向かわせるだろう。
みんな一緒のことをする場であれば、
みんなで一緒のことができれば、良しとされる。
しかし、森のようちえんなどの自分からの発現を待つところでは、自ら考え、うごくことを待っているから、喋らない、動かない、やらないという人も自分から始動するのを待つ。
昨日、大泣きして、何も動くことも語ることも出来なかった子が、きょうは、一人で何度も何度も何度も坂を駆け下りる練習をしている。
森のようちえんでは、みんな一緒のことは、していないけれど、やっぱり仲間に入りたい、タイミングものがしたくない。たとえ、できなくても、できないなんて言われたくない。
ここでは、誰もが自己肯定感は、満載です。
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